2016年5月21日土曜日

どんなに大金持ちになってもネコより幸せにはなれない

 パナマ文書が公開されたけど、日本国内ではさっぱり盛り上がる様子がない。
 マスコミがセーブしてる、てのはその通りかもしれないけれど、それ以前にみんな「なんだかピンとこない」というのが正直な所なのだろう。
 都知事がちょいと公金で温泉に行ったりとか、生活保護を受けてる人がパチンコしたりとか、そういうのは簡単にイメージできるけど、億やら兆やらの単位の金持ちが脱税してても、何がどうなっているのやらよくわからない、というわけである。
 ちゃんと考えれば、税金として国庫に収まって財政を健全化したり、でなければ市場に流動してトリクルダウン(死語)でもって社会を潤したり、そういうお金がどっかに滞留しているわけで、そうした滞りが社会を干からびさせてる、くらいのことは理解できる。
 でも、その金持ちどもは、その一生かかっても使い切れないくらいの金を抱えてどうしようというのか。
 というか、なんで金持ちというのはそんなに際限なく金を持とうとするのか。

 それは「人間の欲望に際限がないからー」というよくある答えは思考停止で、どうして際限がなくなるのかを考えなくちゃならない。
 というわけで、欲望の非対称性についてまた書くべきなのかと思ったけれど、やっぱりこういうわかりやすい大事件については、わかりやすく書くべきだと考え直した。

 なんでそんなに際限なく金を持とうとするかというと、金があればあるほど自由になるからだ。
 自由には際限がない。
 際限のない無限の自由を求めるようになると、人間は「自由を求める」ということ以外しなくなってしまう。自由になってそれで何をするかというと、さらなる自由を求めるようになるからだ。
 具体的には、ビーチでかわい子ちゃんを口説いてる最中でも、うまいことヘリコプター遊覧デートに誘い出しても、夜景の綺麗なホテルでシェフのおすすめコース・ディナーを二人でつつきながら「アペリティフにキールを注文するのは今夜はOKというサインなんだよ」とウィンクしてる時でも、株価のチャートが気になってスマホをいじる指がピクピクしてしまう、というようなことだ。(例がバブル臭いのは、筆者の年代のせいです)
 いわゆる「新自由主義」という自由絶対主義は、このようにして人々を「貧しく」してしまった。
 共産主義になったらみんな豊かになるかと思ったら逆に貧乏になったように、資本主義がどんどん「新自由主義」の名の下に突っ走ったら、やっぱりみんな「貧しく」なってしまったというオチ。しかも金持ちまで貧しくなった。
 もちろん例外はいるだろうけど、そんな神話の登場人物のごとき例を持ち出して現状を肯定しても、さっぱり状況は変わらないと思う。
 無限の自由のその先に、幸福があるかと思ったら、得たものはただ「貧しさ」ばかりだった。
 カール・ブッセの詩の通り、「さいはひ」を求めて山のあなたへ行ったら、涙さしぐみ帰りきぬ、という次第となったわけだ。


 ネコはよく眠る。何の悩みもない顔でこんこんと眠る。寝る子だから「ネコ」なのだ、という説もあるくらいだ。
 そんなネコを見て「ネコはいいなあ」と羨まない人間はいないだろう。
 どんなに大金持ちになっても、人間はネコより幸せにはなれないのだ。



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