2016年5月16日月曜日

本を喰らう

巻物を食わされるエゼキエル

「昔のエラい人は辞書をむしゃむしゃ食べて暗記した」なんて話がありますが、腹壊さなかったんですかね。ヤギだって紙を食べると下痢するそうなのに。だから本当は黒ヤギさんも白ヤギさんも、手紙なんか書いてる場合じゃなかったりします。あ、そうそう、ドラえもんに「暗記パン」てのがありましたっけ。パンに書いて食べると暗記できるってやつ。実はこれ、聖書に似たような話があります。

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彼また我に言ひたまひけるは人の子よ汝獲るところの者を食へ此巻物を食ひ往てイスラエルの家へ告よ
是に於て我口をひらけばその巻物を我に食はしめて我にいひたまひけるは人の子よわが汝にあたふる此巻
物をもて腹をやしなへ腸にみたせよと我すなはち之をくらふに其のわが口に甘きこと蜜のごとくなりき
(エゼキエル書三章一節、日本聖書協会昭和十五年版)
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 とまあ、神様がエゼキエルに巻物を食わせてます。するとエゼキエルはそこに書かれた言葉をよどみなく喋ることができたわけで、ドラえもんの暗記パンそのまんまですね。F藤子先生は聖書からパクったんでしょうか。ンなわきゃーない、と念のため自分突っ込みしときます。
 まあしかし、本をぱくぱく食べるとそこに書いたことが頭に入ればいいのになあ、って願望は昔からあったんですね。聖書にはあとエレミヤ書や有名な黙示録にそういう記述があります。
 こちらは本を食べたい願望を率直に表現したアートです。有名なサロン・ド・リーブルのもよおしのようです。記事がフランス語なんでちょっとよくわかんないんですが、アーティストたちがいろんな装幀を楽しんでる?てか本なのかこれ。まあいいや。
 日本の方では、また凸版印刷が世界最小の本の記録を塗り替えたりしていて、しかもそれを売っています。
    しかしこれ、食べれば一口、というか、鼻から吸い込みかねないな。それと内容にもう少し工夫が欲しいところ。『四季の草花』とか無難すぎる。平賀源内の『風流志道軒傳 』の「小人国」の巻なんかどうだろう。『風流志道軒伝』は志道軒が巨人の国やら小人の国やら女だらけの島(女護島)を冒険する話。漢字が多いとダメかな。





 さて、冒頭に戻って、本を食べることについては、ジャック・ラカンが『精神分析の倫理』の中でこう語っています。

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 食べ物がある。何でしょう。それは本です。
『黙示録』の中でこの「本を食べる mange le livre」という強力なイメージを読むとき、それはどういうことを意味するのでしょうか。それは、本それ自体が体内化という価値をもつということであり、シニフィアンそれ自身の体内化であり、真に黙示録的な想像の支えです。シニフィアンがここにおいて、神となる、つまり体内化それ自身の対象となるのです。

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 言語を体内化すること、ただ暗記するだけでなく、完全に己のものとして語ることができるようにすることは神的な意味を持つんですね。

 パソコンでちょちょいと検索すれば出てくるからって、知識をないがしろにしちゃいけません。肉体化してこその「知識」なのですから。

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