2016年1月27日水曜日

生まれて初めて遭遇する「書物」またはブルーノ・シュルツについてのさらなる補足として

遭遇Spotkanie(Bruno Schulz,1920)
  生まれて初めて遭遇した「書物」について、はっきりと記憶している人はいるだろうか。おおよその場合、それは親から与えられた絵本の記憶にすり替えられているはずだ。

 子供が、人生の 原生期において、真に遭遇する「書物」とは、大人がその価値をほとんど見失っている代物である。
………………
 私はそれを名づけてただ〈書物〉と呼び、一切の限定詞も修飾語も用いることをさし控える。
(ブルーノ・シュルツ『書物』Ksiega)
…………
表紙の絵は『偶像讃美の書』
から「けだものたち」Bestie
    ブルーノ・シュルツはそのキャリアを画家として始めており、最初に世に問うたのは『偶像讃美の書』Xięga Bałwochwalczaというガラス版画の連作だった。
 彼は書物には挿絵が必要だ、と考えていた。最初の『肉桂色の店』ではかなわなかったが、次の『砂時計サナトリウム』において、自作のドローイングを挿絵とし、それによって一個の作品としての「書物」というべき姿を現すことに成功した。
 その冒頭、『書物』Ksiegaと題する短編において、幼きものと「書物」の遭遇をこのように記す。
…………
 〈書物〉……どこか幼年時代の暁、人生のそもそもの明け方に、この〈書物〉の優しい光に地平が明るんだのだった。
…………
 しかしそれは、大人たちによって失われてしまう。父は代わりに聖書の絵本を与えるが、幼い私はそれで納得などしない。
…………
「よく知ってるのに、隠しちゃだめだ。ごまかさないで。こんな本をよこすなんて。なぜ、ぼくに渡すんだ、こんな汚らわしい外典、千冊目の写本、できそこないの偽書を。あの〈書物〉はどこにやったの」
シュルツが題材にしたと
思しき広告
…………
 その「書物」の前では、聖書すらもその輝きを失う。
 そのすばらしい、かけがえのない「書物」とは、アンナ・チラーグという名の美しい髪を持った女の絵が載っていた本だ。それは女性の薄毛の悩みを解消する広告であった。
 父は言う。
…………
……「ほんとうを言うと、あるのはただ本ばかりなのさ。〈書物〉は神話にすぎない、私たちは若いうちこそそれを信じているが、年の経つにつれてまじめに扱うことをやめてしまう」……
…………
 それは、肉を買ったり、パンを包む時にページをちぎって使う古雑誌であった。

 ブルーノ・シュルツが作り出そうとした「書物」はどのようなものか。
 それは書かれたのでも描かれたのでもなく、その「書物」を読もうとするもの、見ようとするものを、突然に「世界」へと投げ込むためのものだ。幼いものがこの世界に投げ込まれて在るように。

 一九四二年十一月十九日、のちに「黒い木曜日」と名づけられたその日、ブルーノ・シュルツは路上で死んだ。彼の住むドロホビチはナチスの支配下にあり、ゲシュタポが二発の銃弾を彼の体にねじ込んだのだ。シュルツは「アーリア人証明書」を得てワルシャワに脱出すべく、ユダヤ評議会へパンを受けとりに行く途中であった。

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