2015年3月30日月曜日

いけない生け贄の話

 昔々その昔、九州のとある川に橋を架けることになりました。ところが、何度やっても流されてしまって上手くいきません。
 そこで村の人たちは相談して、人柱を建てることにしました。
 人柱というのは、生きた人を埋めた上に柱を建てるやり方で、そうするとどんな風や大水にも負けない丈夫な柱になるのです。
 人柱は誰でも良いというわけにはいきません。村人たちは村を通る道で、よそから来た人を捕まえることにしました。
 最初に捕まえたのはよぼよぼの老婆でした。人柱のことを告げると老婆はこう言いました。

2015年3月27日金曜日

人を殴ると心も身体もぽかぽかするよね?もしくは『暴力のオントロギー」についてのつづき

現代思想を読む事典 
(講談社現代新書)
現代思想を読む事典』というのが講談社現代新書から出ている。初版は1988年で、ニューアカデミスムとかポストモダンとかが、まだその輝きを失っていなかった頃だ。
 今村仁司編、ということだが、執筆者は五十名を越え、その中には廣松渉鷲田清一丸山圭三郎、そして内田樹なんて名前もあったりする。
 この中にはもちろん、「暴力」という項目がある。
 で、また当然のように今村仁司がそこを執筆している。
 その中身は『暴力のオントロギー』の内容紹介のようなもので、参考文献の欄には自著の『暴力の----』と、これまた自著の『排除の構造』しか載せていない。
 なんつーか、その、「もんくあっか?ああ?」という声が聞こえてきそうだ。ちょっと抜き出してみよう。

2015年3月25日水曜日

人を殴ると心も身体もぽかぽかするよね?もしくは『暴力のオントロギー」についてのもろもろ

今村仁司、貨幣とは何だろうか
 (ちくま新書)
 古本を買取をすると、本に書き入れがされていることが間々ある。某大学教授が整理した蔵書に、今村仁司の『貨幣とは何だろうか』という新書があった。その前半部に、おそらくは教授自身の手になると思われる書き入れがなされていた。
 それは初めのうち、シャープペンですい、すい、と軽く線が引かれていて、そのうち線が段々に濃くなり、それにつれて線引きした文に矢印で?マークをつけるようになってきた。
 やがてページにいくつもの「?」が飛び交い、そのうち余白に「この本を書いたやつは頭がおかしい」と書かれ、そこから先は読んだ形跡がなかった。
 分野は違えど大学教授である。何が彼をそこまで惑わせたのだろう?

2015年3月15日日曜日

いつの間にやら春が来ていた?もしくは『暴力の人類史』について

暴力の人類史 下
暴力の人類史 上
「まだまだ冷えるよね〜」とこする手のひらに息を吐きかけていたら、「いやいやいや、温度計の数値を見ればとっくに春ですよ!!」と言われたような、そんな気持ちにさせられる、それが『暴力の人類史』という本だ。

2015年3月6日金曜日

春よ来るな


 また憂鬱な季節がやってきた。
 お山の杉どもが花粉をまき散らし始めたのだ。
 今朝は娘が起き出して頭を一振りすると、くしゃみが止まらなくなり、しまいにはしつけの悪い座敷犬のような音が鼻から飛び出した。娘の髪にけっこうな花粉がとりついていたらしい。一瞬、娘の頭を丸坊主にしたくなったくらいだ。

2015年3月4日水曜日

ユダヤ人はどこにいるか?もしくは映画『ショアー』を観て思ったこと

「なぜ微笑むのですか?」
 話の途中に挟まれた質問に、男は応えない。
 一瞬とまどったように視線を外し、また元通りインタビューは続く。
 思わずインタビュアーがこの問いを口にした気持ちはわかる。男が今話しているのは、四十万人が殺されたヘウムノ絶滅収容所の思い出だからだ。
 男の名はモルデハイ・ポドフレブニク。
 収容所で生き残った二人のうちの一人だ。あのアイヒマン裁判にも、検察側証人として出廷している。
 インタビューしているのは、この映画『ショアーSHOAH』を作ったクロード・ランズマン。
 映画の冒頭は、もう一人の生き残りであるシモン・スレブルニクの物語が文字で流れる。次に彼がかつてナチ将校とともに渡った川を、その時歌ったと同じ民謡を口ずさみながら船に乗ってゆく。歌の上手な少年だった彼は、時々そうして外に連れ出されたという。
 そして、シモン・スレブルニクも常ににこやかだ。
 彼ら二人に驚かされるのは、そのたたずまいが実に「普通」だということだ。町の中を歩けば、たちまち人ごみにまぎれてしまうだろう。安っぽい劇画に毒された人間が想像するような、血なまぐさいオーラなど微塵も発してはいない。すぐ隣に座っていたとしても、何も違和感を覚えそうにない。そうと言われなければ、殺された四十万人のうちの生き残りだとは、まったくわからないだろう。
 教会の祭の中、シモン・スレブルニクは人々に囲まれる。当時を記憶する人も多い。変にとがった眼鏡をかけた男が、興奮してカメラの前でまくしたてる。
「ユダヤ人たちが集められているところを見た。その中でラビが同胞たちに説いていた。自分たちはイエス・キリストを罪なくして処刑した。だから、これから何が起ころうと甘んじて受けよう、と」云々。だいたいこのような内容だ。
 眼鏡の男の演説はユダヤ人虐殺について、その罪をユダヤ人の側にかぶせようとしているように聞こえた。
 だが、それでも、シモン・スレブルニクは終始にこやかだった。

 今、日本にユダヤ人はどれほどいるのだろう。どれだけの日本人が彼らと親しくしているだろう。ユダヤ人など、見たこともない人も多いだろう日本で、この『ショアーSHOAH』が上映されることに、どれほどの切実さがあるのだろう。
 元同盟国として?
 

2015年3月2日月曜日

【革命に見る格差と土地の関係編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

ヘンリー八世
    左の御身姿はヘンリー八世である。股間に妙なふくらみがあるのは、当時流行したコッドピースと呼ばれるもので、ここにぶらぶらしがちな不良息子を収めておいたのだ。十四〜十八世紀の西欧では、一人前の男の子ならみんなこうしていたそうな。ニューギニアのコテカのことを笑えやしない。
 そんなわけで、どんなわけだか知らんけど、ヘンリー八世は奥さんと別れて愛人と結婚するために、ローマ・カトリックに絶縁状を突きつけたのだった。
 そしてさらにまた、当時のイギリスで絶大な勢力を持っていた修道院を叩き出し、その領地をぼっしゅーと(古い)したのだった。その土地がどのくらいのもんだったかというと、王国の土地財産のうち四〜五分の一を占めていたくらいだ。
 それらの土地はほぼ、貴族・廷臣・官吏・ジェントリーに分け与えられ、より一層の格差の拡大に貢献したのだった。

2015年3月1日日曜日