2015年1月31日土曜日

【経済の問題がどのくらい重要かというと経済学者に任せておけないくらい重要なので続き編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

Le capital au XXIème siècle

   前回の続き。
「お金持ちが納得して、たくさん税金を払ってくれる」という、KENJIの身代わりにアンパンマンがISISの人質になって「新しい顔があるからへーきだよ」と言ってる、なんてのと同じくらい幼稚でファンタスティックで場の空気を読まない質問には、一体何が含まれているのか?
 だいたい、税金なんて、喜んで払ってるのは皇室くらいじゃないかと思うんだが、なんで税金を払いたくないかというと、まず「せっかく稼いだ金がもったいない」それから「国が何に使っているのか信用できない」からだ、とみなさんのたまうだろう。
 それは金持ちに限らず、サラリーマンだってパートのおばちゃんだって街場の古本屋だって大臣だって経済学者だって同じことだ。そういや、元大臣で経済学者で企業重役の人が、住民税を逃れるために一年の半分は住所を海外に移してた、なんてな話もあったっけ。

 違うのは、お金持ちは、そういうことを動機として行動に移しても「赦されている」ということだ。
 赦されてるってのは、法的にそうなっているてことだけじゃなくて、社会的な心情としてってことね。
 だって、所得税を値上げするとお金持ちが海外に逃げちゃう、という話に対して、誰もそれを非難しないじゃん。「まー、そういうもんだよね」と納得してしまう。「金持ちたちには愛国心がない!」と右翼が騒いだりもしない。納税は国民の義務だから(他の先進国は「国に徴税権があるだけ」で義務じゃないそうだけど)、と下々の者が唯々諾々と支払っていても、お金持ちは海外に逃げることについて何も言われない。いいなー、とか、うらやましいなー、とか、上手いことやりやがんなー、というくらいのことはあっても、さっさと国に戻ってきりきり払うもんを払え!みたいな盛り上がりは起こらない。
 なんでか。
 みんな「自分の財産の方が国家より大事」っていう、共通した「欲望」があるから。でもそれは、言わないヤクソク、になっている。
 自分の欲望に無自覚な人間は、それが暴かれることを過敏なくらい嫌がるから、ちょっとでもそこに触れると抱卵中のチャボみたいにつっかかってくるのだ。

 そんなわけで、ピケティの論説は世界中からつつきまわされてるわけだけど、本人はどこまでそこら辺のことを自覚しているんだろう?
 とりあえず必要なのは、プロ倫の読み返しとニクラス・ルーマン辺りを読むことかな、と自分的には考えているのだけど。


マックス・ヴェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
N・ルーマン リスクの社会学
N・ルーマン 信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム

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