2014年12月28日日曜日

ニッポンの未来はパニュルジュの羊の夢を見るか?

レミングー壁抜け男 [DVD]

 レミングという有名なネズミがいる。ネズミ算式に増えまくって、増えすぎると集団自殺をして数を調整する、という習性で知られている。
 それは、大戦末期に「一億玉砕」を唱えていた日本人に、ミッキーマウス以上の強い印象を与えた。
 が、実際はほぼ作り話である。
 この話が広がったのは、ディズニーのドキュメンタリー映画 ”White Wilderness”のせいだ。この集団自殺シーンを撮影するために、レミングをかき集めて海へと追い落としたとのこと。
 現代ならグリーンピースが黙っていないだろう。きっとナスカの地上絵の隣に、でっかいミッキーマウスを描いて、その下に「僕たちを殺さないで!」と書きつけるに違いない。そしてペルー政府から怒られたついでに、ディズニーからは著作権料を請求される、というオチになる。

2014年12月26日金曜日

あなたの家にサンタクロースはどのようにして侵入するのか

 サンタへの手紙というものを書いたことがない。
 サンタの存在を疑っていたとかではなく、絵本に出て来るサンタが袋から取り出すおもちゃが、どれもこれもつまらないものにしか見えなかった、というのが大きい。子供が外部の世界をどの辺まで信じるか、というラインは意外なところまでぐるっと遠回りしていたりする。
 こうして思い出してみると、我ながらろくでもないガキだったなあ、と思う。
 



2014年12月24日水曜日

写真を見ながら絵を描くのはただらくちんなだけじゃないもしくはすべての失敗写真は心霊写真であるということ

プルースト/写真
『プルースト/写真』において、写真家ブラッサイはプルーストの写真への「愛」を、樹木にとりついた虫をせせるアカゲラのように、これでもかと取り出してみせてくれる。
 しかしそれは、語られれば語られるほど、見出されるのはプルーストの秘めたる「快楽」ばかりで、プルーストが音楽や絵画へと注いだ視線、カプチン修道士が十字架を見つめるような熱い視線とは、その温度差が明らかになるばかりだ。
 プルーストは写真を撮り、収集し、見せびらかし、交換する。プルーストにとっての写真は、あくまで「快楽」のための「ツール」でしかないのだ。
…………
快楽には写真と似たところがある。目の前にいる愛する人の写真を撮っても、あとで家に帰り、心中の暗室が自由に使えるときになって現像するまではそれはただのネガにすぎない。そして誰かが側にいるときは暗室の入口には「使用禁止」の札がかかっている。
《花咲く乙女たちのかげに》(注:『プルースト/写真』からの孫引)
……………
 だいたいこの時代から、庶民にはまだまだ高嶺の花とはいえ、写真というものが大量に生産されるようになる。
 大量の写真は修正されることなく人目にさらされ、それは本来「写っていて欲しくないもの」までも、否応なく見せつけられることとなる。
 一八九〇年八月、プルーストの母親は息子に送った自身の写真について、こう手紙に書き添える。
…………
「あなたは写真をちゃんと見なかったから変だと思ったのです。口がくぼんでいるのは写真技師のせいで、(…)まったく腹が立つこと。(…)あれこれポーズをするよりもスナップショットの方がずっとよかった。目が疲れてしょぼついているからあなたにはおかしく見えたのね」
…………
 写真がその「写す」ということの、もう一つの機能を発揮し出したとき、プルーストも、そして同時代の人々も戸惑ったに違いない。
 そこには「写ってはならないもの」が写っていたからだ。

2014年12月22日月曜日

写真を見ながら絵を描くのはただらくちんなだけじゃないのまたまたつづき

 昔の写真は、どれもこれも美しくみえる。ただ懐かしさを感じるだけではなく、写真そのものが美しい。
  まあ、それもそのはずで、昔の写真てのはだいたい修正が施されているのだ。肖像写真なんかは特に。写真そのものがとんでもなく贅沢なシロモノだったので、なるべく失敗しないように、ということだったのだろう。
 美には、常に作意がつきまとう。
 その人を映したものは、その人自身よりも美しく、それが人の寿命よりも永らえるものであるなら、いっそ美しく残したいというのが人情というものだろう。

 そして、美しいものはなるべく自分のものにしたくなる。
 それは単純に写真を入手するというだけではなく、美しい写真というものは常に模写を誘惑するものなのだ。

2014年12月21日日曜日

写真を見ながら絵を描くのはただらくちんなだけじゃないのまたつづき

 以前本宅のほうで、フェルメールとスピノザは同じ時期に同じ町に住んでいて、ほんとに面識がなかったのだろうか、というエントリーを書いた。
フェルメールとスピノザ』において、ジャン=クレ・マルタンは、スピノザの自画像と、フェルメールの『天文学者』を比較し、これはスピノザがモデルではないか、と主張する。

天文学者
スピノザの自画像
地理学者

 ……おお、なんという説得力。個人的には地理学者の方が似てるように思うけど。

2014年12月19日金曜日

写真を見ながら絵を描くのはただらくちんなだけじゃないのつづきのつづき

「写真は科学や芸術の婢(はしため)であるべきだ」(ボードレール

 写真というものが登場した時、それはただ「写しとる」だけのものであって、文化に対してはそれほど大きな影響はない、と思われていた。というか、「あっちゃ困る」って思われてた、って方が正しいかな。
 ただそこにあるものをそのまま写す、ということがどれほど人の心を動かすのか、芸術家たちはなかなかそれを認めず、それでいて自分がそこに引き寄せられていくのを止めることができなかった。

 プルーストもご他聞に漏れず、写真に対しては冷淡なポーズをとっていた。

2014年12月18日木曜日

写真を見ながら絵を描くのはただらくちんなだけじゃないのつづき

 昨日はだらだらとマイナスなことばかり書いてしまった。ホントに言いたかったのはそういうことじゃない。

 写真というものが登場した時、それは芸術に対して大きな影響を持った。  
ナダールが撮影したクールベ
  共和制になったり帝政になったり、ぎったんばっこん忙しかった19世紀フランスに登場した、元漫画家(てか戯画絵描き)のナダールが写しまくった「写真photograph」は、あっちこっちで引っ張りだこになった。
 画家のギュスターヴ・クールベも、ある日パトロンで友人のアルフレッド・ブリヤAlfred Bruyasにこんな手紙を送っている。
「ちょっと絵の題材に使いたいから、女のヌード写真送ってくんない?」

2014年12月17日水曜日

写真を見ながら絵を描くのはただらくちんなだけじゃない

 今でもそうしたことはあるのかわからないが、昔は一般公募の絵画展で、入賞作が写真からの模写だったのが判明して取り消し、なんてなことがちょくちょくあった。印象に残ってるのだと、雪村いづみの娘の朝比奈マリアってのが、二科展に入選した絵が写真からの模写だとわかって取り消しになったりした。
 こういうのは目立つから通報されてばれるんであって、もっとマイナーな公募展なら、そのまま入選したものもあっただろう。と、憶測めいたことを書いたが、実際に某展覧会の入選作が、デビッド・ハミルトンの写真丸写しだったのを見たことがある。顔だけ変えてたけどね。密告は趣味じゃないんでほっといたけど、誰か気づかなかったのかな、あれ。
 

2014年12月15日月曜日

なんかつまらんのでパンツの話でもしよう

 明日十二月十六日は、白木屋デパート火災から、ちょうど82年となる。(どこがちょうどじゃ!というツッコミありがとうございます)
 とにかくこの事件は、日本女性の下着史を語るうえで欠かせないもので、この悲劇がきっかけでこれまでの腰巻きから、ズロース(今で言うパンツ)に変わっていった、ということになっている。

2014年12月13日土曜日

自由意志と叫ぶときはまだか(再録『タイムクエイクが起こりました』)

 明日は選挙だ。
 ここ二年ほどずっと、選挙の度に憂鬱な思いをさせられる。
 今日は、以前本宅で書いたエントリーの再録。

……………

2014年12月12日金曜日

コガネムシはかねもちだ♪

 私はゴキブリが嫌いだ。
 どのくらい嫌いかというと、それが世界で最後の一匹となって、世界中から保護の対象とされたとしても、目の前に現れたら容赦なく叩き潰せるくらいだ。
 それについては、多くの人が同じ気持ちを共有していると信じている。カップ焼きそばの中で死んでいただけでこの騒ぎだ。
 かくも人類から嫌悪されつつも滅びることなく生き続けるとは、彼奴らは一体どれほどの生命力をもっているのか。あーやだやだ。

2014年12月11日木曜日

ないしょだけど大きくなったらゴジラになりたいと思っていたPart.2

 九月にセスナで伊豆大島へ飛んだとき、ゴジラに出会った。

ゴジラは、大島のまばらな風防林の陰に、どこか人待ち顔で佇んでいた。

なんと、伊豆大島はゴジラの故郷だったのだ。水爆実験の影響と言われているが、実は三原山の火口から登場したのだという。
 そしてまた、再度日本列島を襲撃するときまで、三原山の火口底で眠っているのだとか。

2014年12月8日月曜日

『失敗の本質』には本質的なことが書かれていないように思うのだけど

戦史 (中公クラシックス)
 紀元前四一五年、メロス島(現在のミロス島)において虐殺が行なわれた。成人男性は皆処刑され、女と子どもはすべて奴隷とされた。
 まだまだ野蛮な時代だったから、そうしたことはちょくちょくあったのかもしれないが、問題はこれをやらかしたのが「アテネ」だった、ということだ。
 アテネと言えば、ギリシャの都市国家で、原始的とはいえ民主的な政治を行い、ソクラテスやプラトンを生んだ国だ。
 この事件は、ペロポネソス戦争の余波のようなものだった。しかし、ここにはアテネが、ペルシャとは違って「帝国」たりえなかったということが、象徴的に現れている。

2014年12月7日日曜日

【あーとうとう日本語訳が発売なんだねえ編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら


     あー、とうとう発売なんだなあ、日本語訳。いっしょけんめい英訳読んでたオレの苦労はいったい……
 とか嘆いててもしょうがないんだけど、これはこれでいろいろべんきょになったんで、まあよしとするということで、無理矢理自分を納得させてしまおう。

 んで、この本について結婚式の祝辞のようにながながだらだらと書き連ねてしまったのは、読んでるうちにいろいろ疑問がわいてきて、その疑問てのがどうやら今まで誰もまともに考えたことがないような問題に思えたからだ。簡単に個条書きにすると、
・「財産」とは何か
・「財産」はいつ(暴)力と根源を同じくするのか
・人間は「財産」を持たずに人間になることができないのはなぜか
21世紀の資本(邦訳)
えーと、私有財産が諸悪の根源になってる、という勘違いはプラトンの昔からずーーっと、ずずずいーーーっと存在していて、そうじゃなくて問題は「不必要な」格差なんだけど、なぜかそういうことをちゃんと語る人は少なかった。あ、ピケティだってちゃんと語ってないけどね。
 だいたい「格差の何が悪いの?」という下世話な開き直りに対して、お行儀のいい経済学者サマは今イチ有効な解答ができていない。
 それには歴史を、とりわけキリスト教や儒教という分厚い倫理のベールがかかってない日本の歴史を、「財産」の面から紐解いた方が良いんじゃないかな、と考えていろいろと書いてみたりした。

2014年12月6日土曜日

忠臣蔵って…………江戸幕府の寿命を百年伸ばしたよね

浅野内匠頭家来口上書』というものがある。なんでか知らん、宮内庁が保管してるらしい。
 要するに、なんであんなことをしでかしたのか、ということを手短に語っているわけだが、ぶっちゃけ「ついカッとなってやった。幕府にはわかって欲しい」という、なんじゃこりゃな内容。ずいぶん長いことカッとしてたんだなー、というか、サムライってのは元々こういう考えで生きてたんだなー、というのが生々しくわかるシロモノだ。以下意訳。
浅野内匠頭家来口上書
……えー、主君の浅野内匠頭がやらかしたことはただの「けんか」だってわかってるんだけど、それで藩が取り潰されてムカムカきたので、主君が討ち漏らした吉良を殺してスカッとしようとした、とかいうわけではなくって、やっぱこういう時って仇討ちしないといけないって昔のエラい人も言ってたような気もするし(注:言ってない)、迷惑かもと思ったけど押し掛けてやっちゃったんだけど、幕府にはこの気持ち、きっと伝わってくれてると思うんだ。てへぺろ♡

2014年12月4日木曜日

忠臣蔵って……なんなんだったんだっけ……


「徂徠学ニテ世間一変ス」(湯浅常山『文会雑記』)



 赤穂浪士の切腹を主張した荻生徂徠だが、その後それについてやかましい非難は浴びなかったようだ。江戸時代を通じて、吉良と関係するもの、また浪士に冷たく当たったものが、ずいぶんと肩身の狭い思いをしたのに比べ、なんとも不釣り合いな話である。それだけ徂徠の学問が世間で重く見られていた、ということが察せられる。

2014年12月1日月曜日

忠臣蔵って……なんだったんだっけ……

 まっすぐ突っ走るのもつまらないので、ちょっと寄り道をしよう。
 討入りが起きるのと前後して、桂昌院が従一位に登っている。桂昌院というのは五代将軍徳川綱吉の生母で、「生類憐みの令」を跡継ぎに恵まれない綱吉にやらせた、などという俗説がある。この説は近年否定され、それに合わせて「生類憐みの令」も、悪法どころかこれまでの社会の有り様を改善する画期的な法令であった、との評価する人もいる。
 まあそれはともかく、この桂昌院という人、一応武家の娘にはなっているが、元はどこぞの町娘である、との噂が生前から絶えなかった。それは、この当時の「ある風潮」からきている。