2014年10月31日金曜日

【日本の高度経済成長について全然経済学的でなく語ろうとすれば農地解放がその根っこにあるのだ編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

  幼い頃、ちと大きめの家に住んでいた。天井も高く、太い梁が通っていて、住む人は自然と声が大きくなるような、そんな広さだった。
 近所にはたけし君という子がいて、ちょくちょく遊んだ。図々しいガキだった私は、よくたけし君の家に行き、いない時でも勝手に上がり込んでこたつで漫画を読んでいたりした。
 しかし、たけし君が私の家に来ることは一度もなかった。
 たけし君のお祖母さんはよく顔を見せたが、それでも土間に入るだけで、履物を脱ぐことはなかった。長い話をするときでも、上がり框のような靴脱ぎに腰をかけるだけだった。祖母はかならず屋内で立ったまま応対した。
 幼く、そして鈍感な私はそれについて、何も不思議に思わなかった。
 たけし君の家が、元小作人であったことを知ったのは、成人してずいぶんたってからだ。
 祖母は、所謂「農地解放」によって土地を召し上げられたことをずっと怒っていた。土地に関わる話題がもちあがると、「まったく!GHQが!!」と関係なくとも吐き捨てるのだった。

「農地解放」は戦後にGHQが行った改革の中で、おそらく一番ドラスティックなものだろう。
「タダ同然」で小作人に(一応たてまえは有償だったが)土地を分け与えたやり方は、中国や北朝鮮における「土地革命」よりも過酷なものだった、と栗原百寿は『現代日本農業論』で評している。その改革は、マルクス経済学の所謂「講座派」の見解に沿って、E.H.ノーマンの影響を受けてなされたものだった。公的な総括記録である『農地改革顛末概要』も、講座派を代表する山田盛太郎の手によってまとめられた。あ、ついでに栗原百寿も講座派である。
 どうもこの、昭和中期までの農業などの調査を見ようとすると、マル経に頼ることになりがちなんだよね。保守的な人の語る経済は「なんとかいう政治家が、かんとかいう経済政策をー」みたいなのばっかなんで。
 
 ではなぜGHQが小作に土地を分けることを考えたかというと、日本の軍国主義の力の源泉がそこにある、と見たからだ。
 一銭五厘の赤紙でいくらでも安価な兵力をかき集められ、それをほとんど使い捨てにすることが可能だったのは、土地を持たないのに土地に縛り付けられた多くの貧しい人々が、くめども尽きぬ「資源」となっていたためである、と。
 だから、彼らに「土地」を与え、豊かにしてやれば、日本の軍国主義は二度と復活しないであろう。
 その考えは図に当たった。そして、それだけでなく、もう一つの効果ももたらした。
 豊かになった元小作人である農民たちは、それまで頼らずともシンパシーを感じていた共産党に対し、あからさまに背を向けるようになったのだ。
 社会主義や共産主義の浸透を警戒していたGHQ、さらには日本の保守勢力は、ここに一つの僥倖を見出した。
 ぶっちゃけ、庶民に一戸建てを持てるような希望を与えてやれば、左翼勢力って奴をぐいぐいっと抑えられるよね、とわかったのだ。
 なんという一石二鳥。
 とにかくこの島国は、ソ連と直に国境を接し、社会党や共産党を公党として抱えている。なりふりなどかまっていられないのである。その精神は「国民所得倍増計画」等にも生かされ、財閥解体後に簇生した中小企業を金融的に優遇し、企業間格差を是正すべく二重構造(大企業と下請け)の緩和を目標とした。
 かくして高度経済成長は成し遂げられ、「一億総中流」の社会ができあがり、保守である自由民主党は一貫して最大議席を保持し、連合赤軍事件などの余波もあって、日本人の多くは社会主義的なものを拒否するようになった。この辺りは、しめしめと思った政治家も多かっただろう。
 しかし、ここに一つの落とし穴、というか、一石二鳥の三鳥目がいたのである。三鳥目の夕日、とかじゃなくて。


 さて、「せまいながらも楽しい我が家」を得た中流庶民の心に、重大な変化が起こっていた。
 彼らは言わば、「財産」を手に入れたのだ。
 せまくとも、楽しい我が「家」という。
「財産」とわざわざカギ括弧をつけたのは、それが社会情勢を変えうる何か、という意味合いが含まれているからだ。たとえそれがローン付きでも。
「財産」は、小なりとはいえ世襲的なもので、自らの子どもへと受け継がせることができる。たとえローンを払いきっていなくても。そうした次世代へと受け継がせるものを持った人間は、常に自分の「財産」を第一に考える。国家への忠誠も憧憬も、自分の「財産」の前にはゴミ同然だ。おしなべて「財産」を持つものの思考は、その多寡によらず似通ってくる。「国を守るために戦うだって?そんなものは何も持たない貧乏人にやらせればいい!」
 かくして、庶民が豊かになるにつれ、保守的な人たちが池のコイより大切にしている「愛国心」というやつが、すっかりないがしろにされるようになったわけである。
 そう、これが、日本人が得ることのできた自我、近代的自我のような思索的なものではなく、とっても即物的な「高度経済成長自我」なのだ。
 
 ちなみに、ピケティの本でも、世襲的中産階級the patrimonial middle classについて、その形成が重要性を持つことはふれられている。ただ、どうやって成り立ったのかは曖昧。ちょっと自分もまだ海外の情勢まで手が回らないんだけど、だいたい日本と相似した事象が起きたのではないかな、と推測している。

 ま、日本では保守の評論家センセイ方が、これを「西欧由来の個人主義」や「左翼思想」のせいにしてたけど、実はこういう流れだったのだ。
 そして二十世紀終盤にソ連が崩壊し、二十一世紀の日本の庶民の心に「左翼」への嫌悪がしっかり植え付けられたからには、遠慮なく格差を広げて「愛国心」を押し付けることができるようになった、というわけである。そういう面では、アベノミクスはしっかり成功してるねえ。
 で、次回は「財産」が日本の歴史にどのような働きをしたか、について……かな?


勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―
ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)
…………………
本当に価値あるものは何なのだろう?本物の、掛け値のない人民の阿片は何なのだろう?
……
彼はよく知っていた。いったい、何だろう?答はきまっている。パンが人民の阿片なのだ。これはずっと覚えていられるだろうか?昼間になっても、それは筋が通るだろうか?パンが、人民の阿片なのだ。
(ヘミングウェイ『ギャンブラーと尼僧とラジオ』)
……………………



==============
以下、続いて書かれたエントリーのリンク集。
読み進むにつれて触発され、「財産」が「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする、ということについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿