2014年8月31日日曜日

なぜフランスはいつまでも「おフランス」たりうるのかのつづきのようなそうでなくないようなPart.2


 フランス映画の「刑事モノ」が好きだ。フレンチ・フィルムノワール と呼ぶ人もいるみたいだけど、そんな「本家はこちら」みたいな呼び名は使いたくない。いいじゃん、「刑事モノ」で。
 どういう所が好きかというと、たとえば冒頭でレストランでの食事シーンが映る。ややくたびれた男が奥さんから離婚話を切り出される。男はレストランでテーブルをひっくり返して暴れだす。次の日、留置場の中で目ざめた男は、ポケットから鍵を取り出すと自分で檻を開けて出てゆく。そう、実はこの男は刑事なのだった……


 これは『キリング・タイム』という映画の出だしだ。原題は”Poussières d'ange(天使の塵)”。これ、結構好きな映画なんだけど、DVDにすらなってないんだよねえ。

 フランス映画に登場する刑事は、どこかダメダメで、いまいちカッコ良くなくて、正義のためなんかに全然働いてなくて、それでいて「権力」の臭いを香水みたいにぷんぷんさせている。『太陽にほえろ!』には絶対登場しないタイプだ。見たことないけどね、『太陽にほえろ』って。

 先日、妻子を実家に送り出してから一人で見た『友よ、さらばと言おう』(一番上の予告編のやつ) も、そういう意味でなかなか良かった。男の友情と裏切り、という「王道」を踏んでいるのも良い。
 それと、これはフランス映画を見るたびに思うんだが、「映画ってのは大人の見るものなんだ」てのが基本にあるように感じる。なので、この映画は独りで見て正解だったな、とあとで妻に怒られるかもしれないけど考えてしまうわけだ。
 最後に、この邦題はもうちょっとなんとかならんかったのか、と思う。原題の"Mea culpa"は懺悔の決まり文句oathで、ローマの大詩人ウェルギリウスの作とされる。全文は、Mea culpa, mea culpa, mea maxima culpa. Mea fraus ommis nihil iste, nee ausus, nec potui.
(我が罪により我が罪により我が大いなる罪により。すべては我が偽り、他に試練なく、なす術とて無し)
 この文はジョイスの『ユリシーズ』にも出てきて、ちょっとひねくれた意味合いを持つ文句になっている。と、最後にうんちくたれておしまい。


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