2014年6月30日月曜日

あの日に帰りたいとかいう人はいろいろと都合良く忘れていることが多いんだと思う





 もし若返ることができるとしたらいつ頃がいいか、ってのは年寄り同士の定番の話題だ。そういうときに「いや、今が一番良いよ」なんてカッコつけたことを言うと、空気の読めないやつ扱いをされる。
「あの日に帰りたい」なんてのは、その日からやり直せるって前提で、しかも今までの記憶をそのまま持った上でという条件でなければやってらんない。思春期のぐだぐだなんざ、どんなに思い出補正をかけても恥ずかしいことばかりだ。

 と・こ・ろ・が、「歴史」というやつは、その補正がばりばりにかかる。ねえ知ってる?ナポレオンがアルプス越えをしたとき、本当はぼろぼろのなりで、ロバに乗っていたんだよ。
 とにかく自国の歴史については、常にカッコ良く、常にドラマチックに、思い出すのも恥ずかしいことなんか、ぜーんぶなかったことになっちゃうのだ。それは、その時代を生きていた人がいてすらも起こりうる。
 戦時中の日本とて例外ではない。というか、富みに顕著だ。

2014年6月29日日曜日

なぜフランスはいつまでも「おフランス」たりうるのかのつづきのようなそうでなくないような

ギャバン エスカルゴ缶 36匹入り 425g

    フランス料理というものはあまり得意ではない。作る方もそうだが、食べる方もあまりよろしくない。どっちかというと、もつ焼き屋でチレとかハチノスとか食ってた方が満足感がある。と、このような感想を正直に述べるとお里が知れてしまう、というのもまた気に食わない。こうした日本人は多かろうとは思うが、それでもフランス料理は「高級料理」として定着し、多くのアッパーな方々に舌鼓を打たせている。しまいにゃあちらのタイヤ売りの格付けをありがたがって、星がついたのつかないのと大騒ぎ。このようなことになったのは、なぜなのか。

2014年6月28日土曜日

なぜフランスはいつまでも「おフランス」たりうるのか

ブラームス : 交響曲 第3番 | ミヨー : ブラジルの哀愁 | レスピーギ : 交響詩 「ローマの松」 (Brahms : Symphony No.3 | Milhaud : Saudades do Brasil | Respighi : Pini di Roma / Sergiu Celibidache, Orchestre National de l'ORTF)


 先頃、チェリビダッケ指揮・フランス国立放送管弦楽団のCDを入手し、妻が留守するたびに聞いている。
 すばらしい。とくに『ローマの松』の美しさ。今まで『松』はトスカニーニ最高!と思ってたけど、自分用ランキングを改めることにした。なんつーかもう、聞くたびに響きの美しさに酔っぱらってニヤニヤしてしまうのだ。ハタから見たらヘンタイもいいとこ。

2014年6月27日金曜日

人生とは忘れ去ることなりPart.3

 Part.1はここ、Part.2はこちら

 なんか、「忘れられる権利」the right to be forgotten なんてもんがあるそうだ。
 といっても、インターネット上に限る概念で、現実世界には「慎重に適用を」ということらしい。だから、「あの時シュークリームを二つとも食ったことをいついつまでも憶えてんじゃねーよ!」みたいなのは、「権利」として行使できないとのこと。なるほど。

グーグル、「忘れられる権利」に対応--EUで検索結果の削除を開始





2014年6月26日木曜日

古本屋ってのはいっさい経済成長に貢献しないんだけど

 先日、『経済センサス基礎調査』というのが配布された。総務省が行う統計調査、とのこと。何を調査するんだか知らんけど、こんな場末の古本屋にもくるんだね。てか、十年以上やってて初めてだけど。
 商売の国勢調査みたいなもんだが、本来はちっちゃな古本屋なんかは相手にしないもののようだ。調べても誤差の範囲だし、だいたい古本屋の「経済」ってのは、資本主義にのっとってないし、古書(古物)の売買ってのはGDPに反映されないし、なんでこんな無意味なことをするのやら。
 売上げ三兆円とかデタラメ書いたらどうなるのかとか興味は尽きないが、お役所というところは、永平寺の坊主並みにシャレが通じないからやめておこう。
経済成長という病 (講談社現代新書)
経済成長って何で必要なんだろう? (シノドス・リーディングス)

2014年6月24日火曜日

もしもお金持ちになっちゃったらPart.3

 続けるつもりはなかったけど、なんとなくつづき。Part1Part.2はこちら。

 えー、新自由主義ってのは、とにかく政府をちっちゃくちっちゃくして、税金を少なく少なくする思想だ。それは「相続税」とて例外ではなく、ぼんくら坊ちゃん嬢ちゃんにとって、エル・ドラドへのパスポートみたくなっている。

 中でもそのぼんくらぶりが際立ってるのが、マーガレット・サッチャーウーリー・モンキーみたいに溺愛している息子、マーク・サッチャー君だ。


サッチャー時代のイギリス―その政治、経済、教育 (岩波新書)

2014年6月23日月曜日

もしもお金持ちになっちゃったらPart.2

 Part1はこちら。



 とんでもない幸運の巡り合わせですんごい大金持ちになってしまう、というのは洋の東西を問わず庶民の夢だ。だいたい金さえあればほとんどの問題は解決する。
 金持ちは喧嘩しない。
 金持ちは鬱病にかからない。
 金持ちは働かない。
 金持ちは過労死しない。
 金持ちは借金しない。
 金持ちは自殺しない。
 わーすごい、金持ち最高!金持ち無敵!金持ちこそ正義!
 ……といいたいとこだが、実際のところ現代の金持ちはよく喧嘩するし、金持ちでも鬱になるし、金持ちほど働くし、金持ちなのに借金があったりするし、金持ちが突然自殺することもある。なんか矛盾しまくりなんだが、なんでそんな事態になるかというのはPart.1で述べたように、「新自由主義」って考え方がみんなを「貧乏」にしちゃうからだ。
 同じことを繰り返すと、「新自由主義」てのはとにかく「損する」ことが「悪」みたいな考えを生み出しやすい、というかそれをむしろ煽っちゃう思想なもんで、みんな貧乏になっちゃう。「損しない」ことに汲々とすることは、生活に汲々とするとこと変わりないので、「損してもヘーキ」な人、すなわち「金持ち」がいなくなってしまうのだ。なので、現代の日本の金持ちってのは、みんな貧乏臭い顔をしている。口がひん曲がってる大臣とかね。

2014年6月20日金曜日

とりたてて感想があるわけでもないけど『グランド・ブダペスト・ホテル』はとても良い映画だ


『グランド・ブダペスト・ホテル』を観てきました。
 こういう、美しくて、オシャレで、グロテスクなコメディは好きですね。大好物といっていい。
    ただ素直に映画を観ていても楽しめますが、ちょっと時代背景の知識があると、よりいっそう味わいが増します。
(以下ネタバレ

2014年6月16日月曜日

川島雄三監督『花影(かえい)』について忘れないうちにメモしておこう

 以前のエントリーで「機会があれば」と書いて、別に機会に出くわしたわけでもないけど、このままだと忘れそうなのでちょっと書いておこう。やだねえ、歳とると、憶えておきたいことをいちいち洗い直さにゃならん。若い頃は無意識にやってたことを、その都度意識してやらないとなんない、てだけなんだけどね。

 そんなわけで、ほぼ一ヶ月前に見た映画『花影』について。以下、ネタバレは大して含まれてないけど、気になる人は気にしておいて。まあ、そんなにしょっちゅう見る機会のある映画じゃないし。


花影 (講談社文芸文庫)

2014年6月9日月曜日

幸福になると思っていても不幸になることはあるのに不幸になると思っているとちゃんと不幸になる

 今日は久々に雨が上がった。見上げると雲の合間に青空が見える。たまりにたまってちょっとした標高になった洗濯物を二回に分けて洗い、休暇明けの税理士のような心持ちでてきぱきと干した。陽のあたるベランダはシャツやタオルでいっぱいになり、逆に窓際は田舎の駅の待ち合いみたいに薄暗くなった。
 そして買い物に行って料理酒と豆乳とソーセージをもとめ、ネコにごはんをあげて、自分の胃袋に何かしら詰め込むと、出勤するためバスに乗った。
 すると、バスがいくらも走らないうちに、雨粒が窓に引っ掻きキズのような跡をつけ始め、たちまちバスの中は雨粒が屋根をたたく音でいっぱいになった。道路を見ると、跳ね回る雨のしずくで、道がうす白くなっている。
(はあ、よりによって、なんで今日なんだ)
 先ほどまで胸の内を満たしていた満足感は、しのつく雨にすっかり流されてしまった。
(洗濯物どうすんべえ……)

2014年6月6日金曜日

「思ったままを書きましょう」「なんとも思わないので書けません」と誰も言わない時代もあったかも知れない

 小学校の頃、作文を書くのが苦手だった。いや、はっきりと嫌悪感を抱いていた。
 とくに読書感想文は大大大大大嫌いで、「なんで感動も何もしてないのに感想文を書かにゃならんのか」といつも不満を持っていた。
 あるときなど、先生に感想文の宿題を出されて最後の一人になるまで書かずにいた。
「しょうがないな、一枚でいいから明日までに書いてこいよ」と言われて、
「書きたくないので書きません」と答えた。
「じゃあ、成績がせっかく5なのに、4になっちゃうよ?」と脅しをかけてきたが、
「うん、じゃあそれでいいよ」とにっこり笑って承知した。
 そのくらい自分にとっては嫌〜〜〜〜なことだったのだ。それからずっと、その先生が担任のうちは、国語は4のままだった。でも「別にいいや」と思っていた。

 なんでそんなに作文が嫌いだったかというと、「自由に、思ったことを書いてみましょう!」とかいうくせに、本当に自由に思ったことを書くと怒られたからだ。
 今にして思えば、こういう「機微」を子供のうちから会得しておくことが、会社員になってから宴会で上手くやりこなせるようになる人生のコツだったのだろう。「今日は無礼講といきましょう」なんて言われても、羽目をはずして大失敗なんてことがなくなるようになる、てやつだったのかもしれない。

 さて、先日『作文の総合的研究』という本が入荷した。
 旺文社から昭和十三年に出たものを十七年に改訂した、当時の学生(たぶん中学生くらい)向けの参考書である。
 昭和十七年と言えば戦争まっただ中であり、お手本として掲載されている学生たちの作文は、まったく「自由に、思ったこと」を書いている。

2014年6月5日木曜日

【予告編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本主義』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 いやー、我ながらひでえタイトルだね。
『予告編』って銘打ってるのは、まだこの本を手に入れてないから。本当にすごいベストセラーらしくて、注文してそろそろひと月になろうってのに、まだ入荷しない。こういう時だけは、電子書籍がいいなーと思わされてしまう。安いし。でも今更切り替えたりしないけど。

(右は電子版)

 翻訳権はみすゞ書房が手に入れたとのことで、日本語訳は三年後くらいになるとのこと。おせーよ。あ、もしかして、原著のフランス語から訳そうとしてるのかな?

 このところ、あっち側の新聞やらブログやらうろついてると、この本の話題に出くわさない日はなく、エントリータイトルの元ネタになった本と違ってただアホみたいに売れてるってだけじゃなく、現代経済学を根っこからブンブン揺るがすような内容をもっているらしい。
 いやー、なんたってすごいごりっぱな経済学者が、反論できなくて口汚い罵倒を繰り返したりするんだもん。

2014年6月4日水曜日

余ってるはずがないのに余ってないと困るので無理矢理に余らせてしまって足りてるはずなのに足りなくなるのだ

「骨の髄まで虚(うつろ)であり、無鉄砲だが意気地がなく、貪欲だが剛毅さはなく、残虐だが勇気はない」
…………

 このような人間は、時折見かける。というか、ごく普通の人間が、いつの間にやらこうした性質を帯びてしまったりする。
 これは、コンラッド闇の奥』に登場する、クルツという男についての描写である。この小説は映画『地獄の黙示録』の元ネタとしても知られている。
『闇の奥』を読むと、どのような人間によって植民地を経営されていたのか、よくわかりすぎて気持ちが悪くなるほどだ。これはコンラッド自身の経験が生かされており、下手なドキュメンタリーよりもずっと、当時の「臭い」をリアルに嗅がせてくれる。

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)  


さらに、この男についての論評を続ける。
…………
 彼らは何者も信じず、それでいて騙されやすく、人に言われれば何であろうとすぐ信じ込んだ。
 社会とその価値評価から吐き捨てられた彼らは、自分自身しか頼るものがなく、そしてこの頼るべき自分自身は無に等しいことが明らかになった。
 唯一の才能はデマゴーグの才、「過激政党の指導者」の才、ルサンチマンの才能だった。
 彼らはすべて「ルーレットから殺人まで何でも手を染める」人間だった。
…………
  全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義 全体主義の起原 2 ――帝国主義 全体主義の起原 3 ――全体主義

2014年6月1日日曜日

クルーグマン先生によると女王様は裸で自転車に乗っているようです

ポール・クルーグマン「なんで経済学者は人口成長を気にかけるの?」
http://econ101.jp/ポール・クルーグマン「なんで経済学者は人口成/

 えーっと、上のリンクでノーベル賞のクルーグマンさんがなんか言ってるので、ちょっと引用。

>ここで認識しておくべき大事なことがある.「人口増加が鈍るのは,いいことになりうるし,そうなるべきだ――ただし,健全な政策としてまかり通ってるものは,この潜在的にはいい発展を大きな問題に変えてしまう見込みがあまりにも大きい」ってのが,それだ.なんでかって? 現状のゲームの規則では,ぼくらの経済には,「自転車」っぽい側面が色濃くあるからだ:十分にスピードを出して走ってないと,こけてしまいがちなんだよ.

 だそうだ。
 以前からこのブログでは「女王様は裸だ」というシリーズで、「人口が減少してくると経済学は役に立たなくなる」てなことを書いてきた。なので、これはそんなに目新しいことでもなくて、あーやっぱりそうだよね、と再確認しただけだ。あ、ちなみに「女王様」ってのは、経済学が「社会科学の女王」を自称してるんで、「王様は裸だ」にひっかけて言ってるだけ。別に鞭でビシバシしたりしないのでご安心を。
 だいたい経済学ってものが成立したのが十八世紀後半、フランス革命が起きるちょい前なんだけど、その辺りからヨーロッパの人口がぐんぐん増えてくる。で、どんどこどんと肥大する社会をどうするか、てのが重大な問題になってきて、経済学ってのはそれを解決するための学問として登場したのだ。いや、これは経済学者が自分でそういってたんじゃなくて、今になって振り返るとそういうことだとわかる、てこと。
 だから、経済学ってのはバックギアのない自動車みたいに、「人口が減少する」局面についてはほとんど考えていない。ゼロじゃないけどね。ケインズも一般理論 でちょこっと触れ出るみたいだし。でも刺身のツマの造花の菊程度の扱いだけど。
 そしてその「人口」について、フランスで革命が起きてる最中に、マルサスの『人口論』てやつが出版されている。
 なので、何を今更な感じもしないではないんだけど、いい機会なので、ここでマルサスの『人口論』についてざらっとおさらいしとこうと思う。

人口論 (光文社古典新訳文庫)

「破廉恥漢マルサス!その著書の名も知る要なし」(フローベール『紋切型辞典』)