2014年4月4日金曜日

アリストテレスの言うことにゃ「わしゃそんな本書いちょらん」

 えー、ずいぶん間が空いちゃったけど、これの続き。 なんでアリストテレスは言ってもいないことが言ったことにされやすいのか、なんで王様の愛人に馬乗りされてお尻ペンペンされなきゃならんのか、それはアリストテレスの書物がたどった運命に由来する。

 アリストテレスが死んだ時、その多くの著作やノートはリュケイオンに残されていた。
 リュケイオンてのはアリストテレスが開いた学園で、アリストテレスの死後も千年近く続いたりした。プラトンのアカデメイアとずーっとタメをはってたんだけど、東ローマ帝国のユスティニアヌスが、キリスト教以外はその教えを認めないとか言い出したもんで、両方ともつぶされてしまった。
 つぶされたのは後々のことだったけど、それ以前、アリストテレスが死んだすぐあとに、エジプトのプトレマイオス王国が「アレキサンドリアに超でっかい図書館作るから本を全部よこせ」と無茶いってきた。
 そこで弟子が当時小アジアと呼ばれたトルコのスケプシスって町に隠したのだが、それをそのまんま忘れてしまったのだった。……リスか?

 まあ、住民の強制移住とか色々事情はあったようだが、とにかくそこに厖大なアリストテレスが隠されてる(多分どっかに埋められてた)のは、二百年くらい忘れられていた。
    それが再発見されて、当時リュケイオンのトップだったアンドロニコスが編纂したものが今に伝わる「アリストテレス」だ、ということになっている。
 で、この時多くのアリストテレスの著作が失われ、残ったのは講義ノートばっかりになった。
 例外は『アテナイ人の国制』で、これは一八九〇年にエジプトのパピルス文書から、大英博物館が見つけ出したものだ。
  アテナイ人の国制 (岩波文庫 青 604-7)

 そんなわけだから、「失われたものが見つかった!」というふれこみでもって、アリストテレス著とされる偽書がたくさん作られるようになった。そしてそれが色々と誤解を生む種になっているようだ。おんまさんごっことかね。
 ついでにアリストテレスの呪いなのかどうか知らないが、私もすぐエントリーの続きを書くはずがずーっと忘れていたのだった。はっはっは。…はー、歳はとりたくないねえ。
 現代日本においては、その偽書の内容はほとんど知るすべがないので、あちらのwikipeのリンクを並べておこう。
Secretum Secretorum
On Marvellous Things Heard
The Theology of Aristotle
Liber de Causis
On Breath
Rhetoric to Alexander
Economics
On the Universe
Aristotle's Masterpiece
On Virtues and Vices
Problems

……などなど。多分まだまだあるんだろうなあ。全部集めたら全集より多くなったりして。
 偽書ってのは、中世から古代の著名人にはつきもので、もちろんプラトンのもあるんだけど、この「愛され具合」についてはアリストテレスに軍配が上がる。やっぱ理想主義的なイデア論を説いたプラトンよりも、現世主義的なアリストテレスのほうがとっつきやすい、ということなのかも知れない。

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