2014年2月28日金曜日

本を破るということは

 本というのはちょくちょく破れているものだが、ほとんどの場合帯かカバーであって、中味が破れているというのはあまりない。しかも意図的に破りとられている、というのはほぼ記憶にない。だいたい本を破るということは、その本を見たくない、見られたくないということなので、古本屋に持ち込むわけがない。
 しかも本を焚くのとは違い、欠損した本が後に残る。残った本の破れた痕跡を見れば、何ものかがその本に対して強烈な嫌悪感を抱いている、というメッセージが伝わるわけだ。
 本を公的に毀損するのに「焚書」という行為はよく知られているが、破って回るというのはちょっと聞いたことがなかった。
アンネの日記 (文春文庫)

 でまあ、ここ最近図書館の『アンネの日記』を破って回ってるやつがいる、ということが問題になっている。
Japan: Anne Frank Books Vandalized
http://world.time.com/2014/02/27/anne-frank-japan-diary-vandalized/

2014年2月27日木曜日

パコ・デ・ルシアの心臓がリズムを拍つことはもうないということなのか

 パコ・デ・ルシアが亡くなった
 享年六十六。死因は心臓マヒ。メキシコのリゾート、カンクンで子供たちを相手にギターを弾いている最中のことだったという。


2014年2月26日水曜日

テストとは忘れ去ることなり

「教育とは、学校を卒業した後に残っている何かのことである」
 確か中学生くらいのころ教養文庫の『格言の花束』で読んだセリフだ。記憶だけで書いてるので、おそらく不正確だし誰が言ったのかもわからない。まあ、言ってることの主旨は誤っていない自信があるので、このまま話を進めてしまおう。
格言の花束 (現代教養文庫ライブラリー)
 しかし、今の、というか、ずっと以前からだと思うけど、学校教育ってのは、まるで子供に何も残さないように、 授業の内容は全て忘れるように、しむけているかのように思えることがある。

2014年2月12日水曜日

アルス・エスト・ケラーレ・アルテム・アルケミスト


 昨日、南大沢で行われたアルケミストのフリーライブを聞いた。その名を知らずとも、積水ハウスのCMで歌声を耳にした人は多いはずだ。
 妻と娘がファンなので、CDを通してその歌は耳にしていたが、生で聴くのは初めてだった。妻は、「あの歌声の伸びるとこを聞くと、眼が良くなるような気がする」と言う。ふむ、確かに。音が拡散しがちな屋外で、その歌声はくっきりと輪郭を保ち、くずれることはなかった。

2014年2月10日月曜日

雪だるまは公園で出来そこなうばかり

 一昨日、列島を砂糖菓子にでもするかのように、雪がたっぷりと振りかけられた。
 都知事選の投票に行く途中、二つほど公園の脇を通るのだが、その二つともに失敗した雪だるまが転がっていた。
 思い出してみるに、幼い頃から雪だるまというものをきちんと作れたことがない。
 たいていは雪が少なすぎて、泥ダルマになってしまう。泥だらけでなくても、葉っぱや小枝が混じっている。なんとか作ってもどこか形がいびつで、顔がのっぺらぼうのままだ。 手は感覚を失うほどかじかんで、手袋をはずすと真っ赤になっている。ぐっしょりになった手袋をぶらさげて家に帰り、何にも言わずにこたつにもぐりこむ。次の日、雪だるまはすっかりとけていて、それを見てなぜかほっとする。まあ、そんなことの繰り返し。虚しさに関してだけなら、シジフォスの苦役とどっこいだ。

2014年2月8日土曜日

どきどきの鑑定はCMのあと!

『糸』作曲: 野村誠, 大友良英, 高橋悠治, 新垣隆, 武智由香
 なんか「日本のベートーベン」の耳が聞こえていた、と世間で騒いでるようだ。
 騒ぎになるまで全然知らなかったのだけど、「日本のベートーベン」の中の人である新垣隆って作曲家は、現代音楽の方面ではそこそこ名のある人だったようだ。上のCDなんだけど、高橋悠治やあまちゃんでブレイクした大友良英といっしょに曲を作っている。
 まあ、前衛作曲家って、食えないからね。大友良英だってあまちゃんの曲は数万枚売れたけど、自分のオリジナルCDは40枚(万が抜けてるわけじゃなくて)しか売れなかったそうだし。

2014年2月5日水曜日

無欲と強欲は紙一重であるということ

 前回「主体なんて存在しないよ」と最後っぺをかましてしまったわけだけど、そんな程度のことは太古の昔、日本人がまだ竪穴式住居に住んでた頃から言われている。
 喝破したのはブッダという人で、それが仏教とヒンズー教(という呼称はこの当時なかったけど)をへだてる違いになっている。ヒンズー教は、梵天(ブラフマン・世界の真理)と自我(アートマン・意識の根源)を合一させることが最終目的となっており、仏教は自我を幻(マーヤー・人を幻惑するもの)として斥けた。
 まあ、日本にいるとこの辺の違いってのはよくわかんない。だって日本の仏教って割と「梵我一如」な教えを残してるんで、仏教学者から「むしろヒンズー教に近い」なんて言われちゃうくらいだから。
 それはともかく、自我とそれをもたらす「主体」はともに幻(マーヤー)であると、いみじくもお釈迦様はおっしゃったのだった。

2014年2月3日月曜日

春という季節は変わらないものが世界を変えようと蠢き出すのだった

    私がまだ小学生だった頃、子供たちの間でライダーカードを集めるのが大流行りした。知らない若者のために一応書いておくと、左画像の仮面ライダースナックに、ライダーや怪人たちのカードがオマケに付いていたのだ。栗本慎一郎が広告会社にいたころ企画した、と自分で書いていたが傍証がないのでわからない。とにかくそいつを冬ごもり前のキツネザルのように貯め込むのが、小学生たちの「正義」になっていた。
 ところが、このブームがある問題を引き起こした。
 カードだけ抜いて、本体のスナックを捨てる子供が続出したのだ。子供にしてみりゃ当たりまえの話で、ガキにとってはカードが本体でスナックの方がオマケなのだ。中には箱ごと買ってカードだけ抜いて、残りは捨てた剛の者までいた。