2016年3月30日水曜日

特攻という名の非日本的行動

日本刀と無敵魂
    昨日に続き、また『日本刀と無敵魂』から。
 この本に「片途(かたみち)戦法」という章がある。飛行機で遠距離の爆撃をする際、航続距離の関係で往復できない場合どうするか、という話だ。
 こうしたことは、日本だけでなく米英も行うが、そのやり方が違う、と書いている。
 まず米英については、
…………
「自分共は敵地を攻撃して、爆弾を落とした。之で自分の任務に対する義務は完了した」
 とてんでに解釈をつけて、それから先の行動は自由意志によって決する。そこで敵地の海に着水しようと、敵飛行場に着陸しようと、それは勝手である。そして手を挙げて降参する、之も自由である。
……………
 と書かれている。そんなことがしょっちゅうあったとも思われないが、まあそうかなという感じもしなくはない。
 次に、日本の場合。

…………
 今度は日本の片途戦法を述べよう。
 この戦法は計画的でもなければ、いつもかも用いられるものでもない。全く臨機応変の戦法で、日本の武士道が、之を突差に命ずるのだ。日本には降参というものは、いかなる理由の下にもないのだから、この片途戦法の最後は、無論自爆だ。
…………
 この本の刊行は昭和十八年(一九四三年)で、まだ特別攻撃隊のようなものは軍上層部の頭の中にしかない。実際に特攻隊が行われるのは、この翌年からである。
 興味深いのは、「計画的でない」と書かれている点だ。
 この後、ミッドウェーで「片途戦法」が行われた事例が登場するが、それもやはり「突差」の行動である。
 まさかこの本を書いた翌年、この戦法を「計画的に」行うことになろうとは、夢にも思わなかっただろう。
 ここに、「特攻隊」というものの詐術が浮き上がってくる。

「特攻隊」をまるで大和魂の発露のように想う人たちは、この本の著者が考えるものと「特攻」を同一視しているのだろう。
 しかし、その実態は軍により「計画的に」なされたわけで、その時点でもはやそれは「日本的」とされる行動から離れ、むしろこの本でいう「義務」を果たすことを目的とする「米英的」なものに近くなっている。
 特攻を日本の精神のように考えて涙を流している人には申し訳ないが、それは一種の詐話でしかないのだ。

 似たようなことは今も行われていて、「労働を美徳」と考える若者を過労死するまでこき使ってたりするんだから、こういう詐欺に対してどっかで歯止めをかける思想が必要なんだと思う。

 

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