2015年10月7日水曜日

勉強しなはれ勉強しなはれ勉強しなはれ♪

 マルクスとエンゲルスとレーニンの三人がインタビューを受けた。
 質問は「妻と愛人、どちらがお望みですか?」というもの。
 まずマルクスは「妻だ」と答えた。
 エンゲルスは「愛人」
 レーニンは意外にも「両方とも」と言う。
 驚いたインタビュアーが「なぜ両方?」ときくと、レーニンは笑いながらこう答えた。
「妻には『愛人の所にいる』と言い、愛人には『妻の所にいる』と言えばいいからね」
「で、独りになってどうするんです?」
「一に勉強、二に勉強だ」 

 これ、一応ジョークらしい。元ネタは、社会主義政権下で若者が何をすべきかと問われた時、レーニンの答えが「一に勉強、二に勉強だ」というものだったことからきてるとか。なんか元ネタがわかっても、どこら辺が笑いどころなのかさっぱりわからん。

 しかし、社会主義云々を抜きにすれば、にやりとするくらいのことはあるだろう。それは、ある特定の状況にある人間のみが、密かに心の底でなすたぐいの笑いだ。
 そう、たとえば……
 ジャック・デリダの『獣と主権者』とか『レヴィナス著作集』などを読んでいるとき、
「そんなもん読んで、なんの得があるわけえ!!???」
 という言葉を投げつけられるとか。
金融の世界史』を読んでいたら、
「金融の本とか読んでるんなら、もっと儲かる方法を考えてよ!!!!」
 と叱られてしまったりとか。
 (どうか妻がこのエントリーを読みませんように……)

 そう、子供の頃は勉強するとほめられるが、大人になったら勉強すると叱られるのだ。
 なぜなら、世の中には勉強なんかよりも大切なことが、たくさんたくさんあるからだ。
 わかってる。わかっちゃいるんだが、勉強したいのだ。

 そんなことを書きながらも、自分が何のために勉強しているのやら、自分でもさっぱりわかってなかったりする。

 たとえば今、戦前の経済史についての本をあれこれと読んでいるのだが……せめてこのブログのエントリーにでも使えればいいが、そういうあてもなくただ読み、ノートをとっていたりする。
 読んでてまず、何がわかるかというと、世の中の経済のセンセイが書く経済史てのは、けっこう思い込みが激しいなあ、ということ。
 一つ例を挙げると、日比谷焼打事件というのがある。この事件は、日露戦争後の講和条約(ポーツマス条約)の内容への不満が原因、となっている。それはまあ、間違いない。ただし、その民衆心理の分析がいけない。
「国家と自分を一体化して考える、ナショナリズムの萌芽となった」
 なんてな大仰な分析もあれば、
「薄氷の勝利だと知らぬ大衆の無知からきたもので、日本の大衆はおおむねこのような外交的無知から間違いを侵す」
 などという民衆をあざける調子のものもある。
 普通に歴史を追ってみればわかることだけど、これの前に日清戦争で勝利してるんだよね。で、日清戦争での戦費調達と軍事費増大のために、戦後二度に渡って大幅な増税をしてる。一応、清国からは莫大な賠償金をせしめたんだけど、戦勝後の「状況」を維持するには、それ以上の金が掛かった。それからまた、この賠償金は英貨で支払ってもらって、これを元にして日本は銀本位制から金本位制に切り替える、ということをした。そして、その後に起こった北清事変(義和団の乱)のあとでも、さらにまた増税している。
 そこへもってきて、日露戦争はこれまで以上に莫大な戦費が掛かったにもかかわらず、賠償金はゼロ。
 つまり、単純きわまりなく考えてみても、さらなる大幅な増税は免れがたいってことは、火を見るより明かなのだ。
 焼討ちは、「やってられっか、コノヤロー!」「税金とれるもんなら、とってみやがれー!」というのが動機だな、というのはごくごく普通に考えてわかることだ。
 それをイデオロギー的な切り口から分析されたり、外交に無知な大衆が暴れたみたいに語られても、あほかいなって話だ。

 そんなわけで、もし上記のような分析をしているセンセイのご本が書棚にございましたなら、スペースの無駄ですからどうぞ古本屋に下げ渡して下さいまし。
 あ、商売の役に立った。やれやれ、よかったよかった。

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