2015年5月25日月曜日

チューリングはなぜ死んだか

失われた時を求めて(8)
―ソドムとゴモラI (岩波文庫)
『失われた時を求めて』の八巻が出たので、今読んでいる最中だ。
 いよいよ渦中となり、「ソドムとゴモラ」が始まった。同性愛者であったプルーストが、自らの想うところをこれでもかと書き連ねている。
 この本の脚注に
…………
同性愛(ホモセクシュアリティ)は、ドイツ帝国刑法第一七五条(男性間の性行為を二年以下の懲役とする)の撤廃を求めたベルリン在住のハンガリー人医師カール=マリア・ケルトベニー(一八二四−八二)が一八六九年に初めて用いた当時の新語。
…………
 とある。この言葉が用いられた当初から、犯罪行為ではないと主張するための用語だったわけだ。

 現代ではルクセンブルクの首相が同性婚し、アイルランドでは国民投票で同性婚が合法化され、日本でも渋谷区で同性カップルに証明書を発行している。変われば変わるもんである。三島由紀夫が生きてたらどう思っただろう。

    さて、先月ブログにも書いたが、アラン・チューリングを題材にした『イミテーション・ゲーム』という映画を観た。チューリングは同性愛者で、当時同性愛は犯罪だったため、それが暴かれそうになって自殺した、と普通には語られている。
 しかし映画ではその辺りがなんだかあいまいになっている、ように見える。なんというか、死の原因は別にあったのではないか、とでも言いたげな感じだ。
 だいたい、当時のイギリスの貴族やエリートの間では、同性愛的経験はかなり当たり前のことだったのだ。ケンブリッジのブルームズベリー・グループなんていう「知的集団」なんか、ホモの巣だと揶揄されていた。まあ、ほとんどはバイ・セクシュアルなわけだが、バートランド・ラッセルウィトゲンシュタインもケンブリッジで「経験」を積んだと言われている。ヴィトゲンシュタインなんか、デレク・ジャーマンがそれを題材にした映画を撮っていたりする。
 
 で、昨日、これまた天才数学者でノーベル経済学賞を受けたジョン・ナッシュが死んだ、とのニュースが飛び込んできた。
ナッシュ均衡で知られる数学者ジョン・ナッシュが死去:享年86歳
 妻と二人でタクシーに乗っていたところ、交通事故にあったのだという。
   その業績である「ナッシュ均衡Nash Equilibrium」については知らずとも、その生涯は『ビューティフル・マインド』という映画になっているので、なんとなくその名を耳にした人も多いだろう。
 この映画は実話を題材にしており、メインテーマは統合失調症患者とそれを支える妻の愛である。
 映画においては、ジョン・ナッシュが統合失調症を悪化させた原因として、米政府からソ連の暗号解読を強要されたから、ということになっている。
 政府から暗号解読を依頼される天才数学者……?
 なにやらチューリングと設定がかぶっている。
 チューリングは統合失調症ではなかったが(花粉症ではあった)、映画では暗号が解読されたとドイツに知られないように、ある程度相手に攻撃されるがままにしていた、という描写がある。
 これ、昔読んだ本ではチャーチルの判断だとされていたが、もし映画の通りチューリング自身がそれを選別していたとしたらどうだろう?むしろその時の経験が彼を追いつめ、何年かして自ら死を選ばせることになった、ということはないだろうか。

 ……というようなことを、ナッシュの訃報を目にしてふと考えた。
 ナッシュは妻と一度離婚しつつ同居し、二一世紀になってもう一度再婚した。この奥さんの支えがなかったら、天才は天才たりえなかっただろう。二人同時に亡くなったことに、不思議な運命を見る思いがする。
 R.I.P.

ビューティフル・マインド: 天才数学者の絶望と奇跡 (新潮文庫)
 

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