2015年4月12日日曜日

貨幣はどれだけ集まると「財産」になるのだろうか?

ヤップ島の石貨
「貨幣」と「財産」はどのように違うのか。
「貨幣」の集合したものが「財産」とよばれるようになると、とたんに別な働きをするようになる。
 それはどのくらい集めればいいのだろう?
 とりあえず、一人では持ち運べないほどの重量であれば、それは「財産」と呼べそうだ。

 ミクロネシアのヤップ島というところは、巨大な石で出来た「貨幣」で有名な島だ。この「貨幣」は一人では持ち運ぶことができず、中央にあけられた穴に棒を通して二人でえっさか担ぐことになる。
 だが、そんな風にして運ぶことは滅多にない。なぜなら、石貨の持主はそれを手元に所有する必要がないからだ。
 たとえば大きな取引があって石貨の所有が別な者の手に移った場合、石貨の所有の移動を互いに認識する以外のことは何もしない。何らかの証文を取り交わすこともなければ、石貨に新たな所有者が署名することもない。
 ただそのまま、以前の持主の手元にありながら石貨の所有が移動し、新たな持主は巨額の「貨幣」を使用して生活できるようになる。
 一八九八年、ドイツがスペインから島の領有権を買い取った時、この石貨の性質を利用して住人たちに道路の補修を行なわせたことがある。
 最初のうちは、通達を出してもさっぱりいうことを聞かなかった。そこで住人から罰金をとることにしたのだが、彼らが所有している「貨幣」はおいそれと運べないくらいに巨大なシロモノだ。
 そこでドイツ人たちは、石貨にペンキでバツ印をつけて回った。すると石貨の所有権を失った住人たちは、たちまち貧困に陥ることとなり、あわてて言われた通りに道路の補修を行なった。
 やがて道が出来上がり、ドイツ人たちがペンキを消してやると、住人たちに以前と同じ豊かな生活が戻ってきた。
 なんだか、風が吹いたら遅刻して雨が降ったらお休みで、みたいなテイストの話だが、実はここにもきちんと「経済」というものが存在している。それも、現代とほとんど変わらないくらいのレベルで。

 一九二九年十月二四日にアメリカの株暴落に始まった恐慌は、一九三三年にいたって全銀行の閉鎖を伴う金融恐慌に発展し、こうなったら社会主義にしたほうがいいんじゃねえの?なんて意見まで交わされたりした。
 その金融恐慌の要因の一つとして、フランス中央銀行によるドルの放出がある。現在の相場ではアメリカが金本位制を維持できないのではないか、と懸念したフランス中銀はドル資産を「金」に切り替えるべく、ニューヨーク連邦準備銀行に要請した。
 そこでニューヨーク連銀は金貯蔵庫に係員をやって、金をどっこいしょと別な棚に移し、「フランス所有」というラベルをぺたぺた貼っつけた。
 するととたんに「金減少!」の見出しが新聞に躍り、為替がドル安にふれ、信用不安が引き起こされたのだった……
 金は銀行の貯蔵庫にそのままあるのに、金融恐慌の引き金を引いてしまったわけで、これって石貨にバッテンつけられただけで貧乏になったヤップ島住人と大して変わらないよねえ。
 

フリードマン、貨幣の悪戯
 この経済的寓話は、ミルトン・フリードマンの『貨幣の悪戯』という本に出てくる。
 フリードマンのマネタリズムはあんまり好きじゃないけど、この本は読み物として面白くし上がっているのでおススメしたい。
 それにしても、経済学者が「経済」のことしか考えなくなったのって、この人が根源になってるよね。ケインズ寄りのクルーグマンやスティーグリッツですら、昔のハイエクよりも「マネタリズム」チックになってるくらいだし。
 
 貨幣が「巨大化」して「財産」にその姿を変えたとき、いろいろとへんてこなことが起こる。
 上掲の「寓話」は、その一つの例なんじゃないかと思うのだ。

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