2014年11月1日土曜日

【サムライを滅ぼしたのは廃刀令でも廃藩置県でも四民平等でもなくて「地租改正」だよね編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

「農地解放」といえば、イコールGHQなのが常識になってるけど、実は似たような例が日本になかったわけではない。
 江戸時代も後期になってくると、農民も土地の取引に巻き込まれることが多くなり、不作時の借金のカタに土地を取られ、小作に身を落とすものも少なくなかった。
 商人が多くの土地を押さえてしまうと、どうしても年貢の実入りが悪くなる。そこで藩が徳政を行い、土地を元の持主に返したり、商人から召し上げた土地を小作に分け与えて本百姓に取り立てたりした。もちろん、それまでの小作料はそのまま藩への年貢となった。これは佐賀藩や黒田藩の例が知られている。

 江戸時代、土地の取引は近代以降と変わらぬくらいに行われていた。
 違うのは、基本的に武士は土地の所有ができなかった、ということだ。
 領知(地じゃなくて、知)を支配し、税を取る権限はあったが、土地の売買等はできなかった。住んでいた武家屋敷すらも、不始末などしでかしてお役御免になれば、荷物をまとめて出て行かねばならなかった。もちろん例外はあって、八王子千人同心などは土地の所有が認められていたようだが。
 このように「所有せず支配する」ことは逆に、武士が土地の「所有」対して、超越的な権能を持てるようにしたのだった。冒頭の事例はそれが如実に顕れた例といえる。

 そして明治六年、「地租改正」が行われた。
 その前段階として、明治政府はまず明治二年に大名の領分を没収している。しかし、農民の所有する分はそのまま残し、明治五年に地券を発行して所有を明確にした。さらに翌年、「地租改正」によって税の制度を整備することで、社会の中での私的な所有を絶対のものとして位置づけた。
 私有財産の不可侵性は、近代社会及び資本主義において不可欠のものであり、それは大日本帝国憲法にもばっちり反映された。
 つまりここにおいて、土地に対して超越的存在であるところの「武士」、所謂サムライはその存在の根源を失ったのである。
 明治以降、新渡戸稲造が海外向けに英文で書いた『武士道Bushido』が逆に訳されて評判になったり、口伝だった『葉隠 』が活字になったりしたが、もはやそれはかつての現実に存在したザインseinとしてのサムライではなく、観念的なあるべきゾルレンsollenとしてのサムライでしかなかった。

 さて前回、「農地解放」がマル経の講座派の影響下で行われたことを書いた。所有を絶対のものとせず、その上に意志的な権能を有するサムライと、マルクス経済学がなぜ似たような行動をとってしまうのか。
 それについてはまた次回に。
 ちなみに、戦後の日本国憲法にも私有財産の不可侵性は謳われており、講和後に旧地主の一部が「農地解放」について違憲訴訟を起こしている。農地解放の実態は国家による強制買収であり、これは私有財産への侵害事案である、というのだ。
 最高裁はこれについて、農地解放は農業生産力の発展と農村の民主的傾向と促進を図るという、「公共の福祉」を実現するために必要な措置であったとし、「合憲である」との判決を下した。
「公共の福祉」とは所謂「生存権」であり、この判例から土地の所有者といえど周囲の環境に配慮する、ということが求められるようになった。




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以下、続いて書かれたエントリーのリンク集。
読み進むにつれて触発され、「財産」が「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする、ということについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。

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