2014年10月29日水曜日

【日本の高度経済成長について全然経済学的でなく語りたいんだけど編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

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そしていまや、経済学が人民の阿片なのである。愛国心がイタリアとドイツ国民の阿片であるのと同様に。
(ヘミングウェイ『ギャンブラーと尼僧とラジオ』)
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問題
・完全雇用の達成をはかり、国民の生活水準を大巾に引き上げること
・農業と非農業間、大企業と中小企業間、地域相互間ならびに所得階層間に存在する生活上および所得上の格差の是正

以上の二点に留意した経済政策を実施した国の名を挙げよ。


「ソ連?」ぶー
「中国?」ぶぶー
正解は……日本でしたー!
 てな演出しなくても、ちょっと日本経済史をかじった人ならご存知だろう。
 一九六〇年(昭和三五年)の暮れも押し詰まった、十二月二十七日に閣議決定された『国民所得倍増計画』からの抜粋である。
 なんとまあ、今読むとどこの五カ年計画だよという感じがするが、実際鳩山内閣による『経済自立五カ年計画』の流れを汲むものだったりする。「格差の是正」だなんて、今じゃ口にするやつはサヨクみたいな言われ方だけど、「もはや戦後ではな」くなった日本にとっては、喫緊の課題であったわけだ。
 簡単にこの辺の流れをさらっておくと、第三次鳩山内閣が『経済自立五カ年計画』を閣議決定し、続く石橋内閣が『新長期経済計画』、そして岸内閣がアンポハンターイやらで辞任、続く池田内閣が『国民所得倍増計画』を提出した。
 一応背景にある経済思想はケインズなんだけど、実はマルクス主義からの影響も無視できなかったりする。鳩山一郎は、マルクス=エンゲルス全集の監訳でも知られる大内兵衛に大蔵大臣就任を打診した。大内はそれ以前に吉田茂からも大蔵大臣就任を要請されて断ったことがあり、またそれ以前のGHQ占領期には、大蔵大臣渋沢敬三から請われて日銀顧問になってたりしている。そして岸内閣での国民健康保険や国民皆年金についても、大内の答申によるものだ。
 
 さて、以前”日本人の自我ってのは、近代的自我じゃなくて、「高度経済成長自我」なんだよね。”と書いたわけで、「一億総中流」「史上唯一成功した共産主義」なんて呼ばれた状況てのは、こうした背景から出来上がったものなのだ。
 ちなにみ『国民所得倍増計画』の「国民所得」てのはGNP(国民総生産)のことで、個々人の所得の意味ではない。しかし、当時の日本人は勘違いして、この政策を熱狂的に支持した。
 現代においてもアベノミクスについて勘違いした期待を抱かせるためにか、去年(二〇一三年)の成長戦略スピーチにおいて、池田勇人のブレーンで『倍増計画』を練った下村治の言が引かれたりしている。
「高度経済成長自我」の日本人は、アベノミクスが格差を是正して、「高度経済成長」を「とりもどす」と思ったようだが、現実には格差が開く一方となっている。

 ノーベル経済学賞のポール・クルーグマンは、「国家経済には四つのタイプがある。アメリカとヨーロッパと日本とアルゼンチンだ」と語る。アルゼンチンは先進国から途上国へ転落し、日本は逆に先進国へと這い上がった、ということについて他に類例がないからだ。クルーグマンは日本の健保制度についても「完璧だ!」と賞賛している。
 日本人がついつい自分を特別な存在のように勘違いしてしまうのも、歴史や伝統などではなく、この辺りにいわくがありそうに思う。
 ではなぜ、当時そのような「格差の是正」による「高度経済成長」が可能になったのか……についてはまた次回



下村治『日本経済成長論』 (中公クラシックス)
 













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以下、続いて書かれたエントリーのリンク集。
読み進むにつれて触発され、「財産」が「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする、ということについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。

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