2014年6月26日木曜日

古本屋ってのはいっさい経済成長に貢献しないんだけど

 先日、『経済センサス基礎調査』というのが配布された。総務省が行う統計調査、とのこと。何を調査するんだか知らんけど、こんな場末の古本屋にもくるんだね。てか、十年以上やってて初めてだけど。
 商売の国勢調査みたいなもんだが、本来はちっちゃな古本屋なんかは相手にしないもののようだ。調べても誤差の範囲だし、だいたい古本屋の「経済」ってのは、資本主義にのっとってないし、古書(古物)の売買ってのはGDPに反映されないし、なんでこんな無意味なことをするのやら。
 売上げ三兆円とかデタラメ書いたらどうなるのかとか興味は尽きないが、お役所というところは、永平寺の坊主並みにシャレが通じないからやめておこう。
経済成長という病 (講談社現代新書)
経済成長って何で必要なんだろう? (シノドス・リーディングス)
 以前にもちらっと書いたけど、経済成長ってのは、あくまで「目安」であって「目標」ではない。だって、ごまかしがいくらでもきくもん。ねえ知ってる?GDPの統計はいつも0.5〜1%くらい誤差が出るんだよ。それをいつも調整してんだけど、調整のしかたによってはアップできちゃうんじゃないのかなー。あ、こういうバカなこと言うと、統計学を冒涜してることになるのか知らん。

 まあ、でもこういう「逆転」てのは社会にはつきもので、頭が良くなるために勉強してるはずが、点数をとるために勉強するようになって、かえって頭が固くなったりとか、幸せになるためにお金を稼ごうとしたら、幸せを犠牲にしてお金を稼がなくちゃならなくなったりとか、いろいろある。
 たぶん、こういう感じで裏返すことで「社会」というやつは成り立っているのだろう。それをもういっぺんひっくり返して考えようとするから、社会学ってのは実証主義と相性が悪いんだろうな。

 「手段は往々にして目的へと成長する」とジンメルが言ってて、それは社会が腐敗する原因の一つなわけで、統計学が最強の学問である のは確かなんだけど、それが「目安」じゃなくて「目標」になっちゃうと、いろいろな思惑が絡んできておかしくなるんじゃなかろうか。あ、断っとくけど疎外の話はしてないよ。


 まあそんなわけで、古本屋が儲かろうが損しようが、日本経済にはクジラの上にクラゲが乗っかったほどの影響もないのだ。
 だいたい長いことやってると分かるんだけど、古本屋は「損すること」に慣れないと続かない。そのくせ「本を買いたたいた」とかなじられるのはしょっちゅうなんだよね。
 はー、ため息も売り物になればいいのにな。

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