2014年4月15日火曜日

アリストテレスの言うことにゃ「……やかましいわ!」

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

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「では、なぜ」と、シリウス星人はふたたび言った。「アリストテレスとやらをギリシア語で引用するのですか」
「それというのも」と学者は抗弁した。「自分が少しも理解していないことは、自分にいちばん分からない言葉で適当に引用する必要があるからです」
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 上記はヴォルテールの『ミクロメガス』(岩波文庫『カンディード』収録)からの引用。
 なんつーか、哲学者ってのはこんな昔から同じような「悪口」にさらされてきたんだねえ。それでもやっぱり、アリストテレスを語るときはギリシア語を引く必要があるわけで、哲学者たちはそんな批判は節分の豆ほどにも気にしないようではある。
方法序説 (岩波文庫)

 さらにデカルトの『方法序説』から。
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 現在もっとも熱心にアリストテレスに従っている人たちでも、アリストテレスが自然について持っていただけの知識を持つようになったら、たとえそれ以上の知識はけっして得られないという条件がついてさえ、きっと自分を幸福と思うだろうと私は確信している。
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 アリストテレスは、新たなる知見の妨げとなっている、というわけだ。
 当時、ただ「哲学」といえばアリストテレス哲学(逍遥学派)で、「哲学者」と言えばアリストテレスを指したという。
 そんなわけで、近代を啓かんとした思想家たちの間では、アリストテレスの評判はすこぶる悪い。
 興味深い記述が続くので、もう少し『方法序説』から引用してみよう。

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 かれらの哲学のやり方は、きわめて凡庸な精神しか持たない人々には、まことに便利である。かれらの用いる区別や原理の曖昧さゆえに、どんなことについても、よく知っているように大胆にしゃべることができ、どんなに鋭敏で有能な人に対しても、自分たちの言うことすべてを主張しつづけ、だれもかれらを説得する手立てがないからである。この点でかれらは、目の見える人と対等に闘うために、どこか真っ暗な洞窟の奥に相手を連れ込もうとする盲人にそっくりだと思われる。
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 よっぽど鬱陶しい目にあったんだねえ、デカルトさんは。
 そしてデカルトはこの『方法序説』において、有名な『我思う、ゆえに我在り』 という、この上なく明晰な「真理」(ま、とりあえず当時は)を掲げる。しかしこの本って、ぜーんぜん難しいとこがないんでびっくりする。ほんとにdiscours「お話」て感じ。(原題は"Discours de la Methode")
 あとそれから、大事なことは第一部でほぼ言い尽くしてるみたいなので、時間のない人はここだけ立ち読みしてもいいかもしんない。文庫判で一〇ページちょいだし。『我思う…』は第四部だけど、でも四部の考察って、神と霊魂の存在証明につながってくんだよね。
 一番最初にあげたヴォルテールは、アリストテレスといっしょくたにデカルトについても悪口を言ってる。
 ヴォルテールはイギリスのニュートンロックを絶賛していて、アリストテレスやデカルトだけでなく、大陸側の「哲学」についてはおおむねけちょんけちょんにけなしている。
 とくにライプニッツのことは大嫌いで、その哲学をくさすために『カンディード』を書いたと言えるくらい。ちなみに、ヴォルテールが『カンディード』を書いたのは、 リスボン大地震がきっかけで、これによりライプニッツの『起こったことはすべて善いことだ』という思想を、まるでゴキブリのように嫌うに至った。
 ついでなんで、『カンディード』からも引用。

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「しかし、では、いったいこの世界はどんな目的で作られたのでしょう」と、カンディードは言った。
「わたしたちを激怒させるためですよ」と、マルチンは答えた。
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 何があった、ヴォルテール。
 でも、ヴォルテールも、そしてデカルトも、同時代の事柄にさんざん激怒してるけど、彼らに激怒させられた人の方がずっと多いんだけどね。



怒らない練習

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